MFMAJインタビュー:エッセイスト 鶴田静さん
今回は日本のベジタリアンのパイオニアである鶴田静さんにインタビューさせていただきました。
鶴田さんは、1982年刊『ザ・ファーム ベジタリアン・クックブック』、1986年刊『ベジタリアン クッキング』、1988年刊『ベジタリアンの文化誌』その他の著書により、西洋起源のベジタリアニズムを日本に紹介し、大きな反響を得ました。またポール・マッカートニーの妻、故リンダが89年に書いたベジタリアンレシピ本も翻訳されました。
鶴田さんは、パートナーの写真家エドワード・レビンソンさんと現在千葉県の外房にお住まいです。見晴らしが素晴らしく、かつて棚田だった土地を購入されて、自ら設計し、仲間と協力して建てた家に住んでいらっしゃいます。心地よい風が通り抜ける素敵なお家も、四季折々の野菜、花が咲き誇るお庭も全て手造りです。電気はソーラー発電、水道は井戸から引いています。ベジタリアンの神髄である、環境・人・動植物に優しく、また実に穏やかで平和的なベジタリアンライフを営んでいらっしゃいます。
今回は当方スタッフが楽しく庭仕事をご一緒させていただき、その後、静さん手作りの美味しいランチをいただきながらインタビューさせていただきました。
●まずベジタリアンになられたきっかけを教えてください。
鶴田さん:自分の人生を考えた時、「自然とつながりたい」という思いが根底にありました。1975年から77年までロンドンに滞在していて、大勢の外国人たちと空き家コミュニティーという形で共同生活をしていました。庭で野菜を育て、料理をし、一緒に食べる。人種も国籍も志も違う者同士が集まって、皆で協力して生活していました。そこでベジタリアンたちと出会いました。違う者同士がお互いを認め合い、穏やかで平和的な生活にはベジタリアン料理がピッタリでした。
●1992年発刊の、リンダ・マッカートニーさんのベジタリアンレシピ本を翻訳された経緯についてお聞かせください。
鶴田さん:リンダの本はイギリスで見つけ気に入って、自分で翻訳していました。ある出版社の知り合いから、私が当時ベジタリアン料理の本を出していたという事もあり、「リンダの本の日本語版を出す計画があるので、翻訳してくれないか?」と声がかかりました。「もう既に訳しています」と伝えると、すぐに話が決まりました。冒頭のマッカトニー家のファームライフについては深谷さんという方が担当されて、私はベジタリアン料理の説明やレシピを担当しました。
●翻訳されて、いかがでしたか。
鶴田さん:ベジタリアンの食生活について注意深く語られていただけでなく、ポール一家のほのぼのとした暮らしぶりも分かり、楽しかったです。お料理は、私がイギリスで食べていたおなじみの、飾らない家庭的な品ばかりで、ポール一家のお料理を日本のファンに紹介するには適切だと思いました。
●今でこそ、ベジタリアンやビーガンという言葉も一般的に言われるようになり、ベジ料理を提供するお店も随分と増えました。鶴田さんにとってベジタリアンとはなんですか。
鶴田さん:60年代から70年代にかけて、ビートルズやジョン・レノンが「愛と平和」を訴えた事などから若者の様々な活動や、ライフスタイルが生まれました。私の考えるベジタリアンの始まりはその流れから来ています。愛と平和を実践するのがまさしくベジタリアンでした。そして、ベジタリアンとはそのラテン語の語源から「いのち」を守る、「いのち」を繋げるものです。地球のいのちを守る。人のいのちを守る。動植物のいのちを守る。というのがベジタリアンの本質です。それは人間の生き方の選択肢の一つです。
●ミートフリーマンデー・オールジャパン(MFMAJ)の活動をどのようにお感じですか。
鶴田さん:週に一度お肉をやめてベジタリンやビーガン料理を楽しむというポールマッカートニーの「ミートフリーマンデー(MEAT FREE MONDAY)」キャンペーンに呼応して、日本でこのような活動をしているのはとても有意義なことだと思います。また、ベジエイドとして、子ども食堂を開催したり、ベジチャリティーカフェでの売上金を被災者の方々に送る活動など、とても立派なことですね。何より楽しんで活動しているところが素晴らしいです。